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わすれない

おもうこと

3.11

 

6年か、

まだ6年なのか、というのをわたしは思う。

日々震災のことを想えていないじぶんに反省する。被災地ボランティアにも数回行ったにもかかわらず、わすれてしまっている。

相当に報道もされなくなって,自分に引き寄せることが少なくなったのだろうか。知ることは、自分からできるのに。

 

6年前,

高校卒業式を3/1に終え、

3/11は友達と食事をしていた,横浜駅近くで。

ファミレスに居た。ソファーに座り,談笑していたら,ソファーごとというかお店ごとなにかのアトラクションのようにぐるぐると揺れた。

店の前の大きな木もすごい勢いで揺れていた。なにごとかとおもった。親に連絡しようも,携帯が通じない。急いで支払いをして,外に出る。

近くの改装したばかりのボーリング場から、

ボーリング用の靴を履いたままのひとたちが飛び出してきていた。(このあとこのボーリング場は天井が落ちたという報道あり)

横浜駅は高校があるところ。津波が来るかもしれないという恐怖とともに、高いところにある高校に向かった、安全だろうと思い。が、高校にいたら、学校に缶詰めになるとおもう、と先生たちに言われた。学校から近くの子は家へ帰った。もう一人の友達は,ご両親が仕事場にいて、帰れそうにないという。横浜駅から東神奈川駅まで歩いてみる。やっと母と連絡がつき、友達も一緒に帰っておいで、と。東神奈川駅は,もちろんストップ。東神奈川駅から自宅まで歩いたことなどなかったけれど、友達と歩いた。寒い日だった。どんどん暗くなっていく。歩き続けて,家に着いた。 

わたしの部屋は大量に並べていた学習机のなんもかもが,雪崩れたらしい。

 

テレビをみる。東北が震源ということもそのときに知る。津波がまちを襲う映像が流れる。なにがなんだかわからない。わたしの家から対岸の方ではコンビナートかなにかが火災ですごいのもみえる。ケータイの地震通知のベルが一晩中鳴った。余震もひどい。そういう日々が続いた。大学の入学式も自粛された。

 

 

数日たつと、原発もひどいことになっていることがわかった。電力を福島からもらっていたことを今更ながら知る。電力調整のため?計画停電がある、という。家にあるろうそくをつかう。日中もなるべく電気をつかわないようにした。また、水が止まったときのために、水をお風呂にためて、つかった。

 

こういうとき、都会の人間というのは

ほんとうに弱いのだと実感した。

 

 

一生、あのときの、あらゆる惨事をわすれてはいけない。

 

あのとき、生きたかった人々の明日を

生きている。生きさせてもらっている。

 

あのとき亡くなられたすべての命に、合掌。