「ハンパな人生論より極道に学べ」by宮崎学 ブックログ⑩

この本を読み始めた理由から説明しよう。

私が尊敬するというか、

ブログに書かれる文章から、

毎回何らかの気づきや安堵をくれる

坂爪圭吾さんがこの本をくださったというのが始まり。

坂爪さんは、ブログの中で

わたり文庫無料郵送の一冊というのを実施している。

ブログ読者が、メッセージ等すると、

その本を送っていただける。

 

2016年11月23日に坂爪さんが尾道市にきた。

その時実施された、

坂爪さんと話したい人が集まってする「お話会」的なものに、わたしは参加した。

(※宗教でもなんでもない)

その後のブログに、今回読んだ

「ハンパな人生論より極道(アウトロー)に学べ」が掲載されていて、

読みたい希望を伝えたら、届いた!

 

この本のことが出たブログがこちら↓

 

 

と、、前置きが長くなった。

 

今の私にグッと来た箇所2つ。

 

異端を認めない社会の病理

アウトローの自覚は「俺より喧嘩が強いやつはいっぱいいる」「博奕がうまいやつはいくらでもいる」というのが基本。

他者を認めるか認めないかの違い。上には上があると思えば、他者に対する寛容の範囲は広がるし、オイラが一番なら、それは狭まるからだ。後者の延長線上にあるのは、異端の排除である。とりわけ暴力のエキスパートたるアウトローは批判や排除の対象にしやすい。しかし、皆がエキスパート感覚(つまり、俺が一番⇒我こそが正義という感覚)をもって毛色の違う者を批判し、排除しにかかる社会が果たしてまともだろうか。私はむしろ、ちがう者がいて当然と受け止める社会の方がずっとまともだと思う。

 

 

身贔屓を貫く度量

親と子は互いに独立した関係だから、それを認め合ったうえでの親子の絆もある、といった考え方が大手を振ってまかり通っている。しかし、親が子を身贔屓しない、子が親を身贔屓にできない関係に絆を見つけられるだろうか。 人間生きていくうちにはどこかで誰かに迷惑をかけるものである。その迷惑を受け入れ、身贔屓に徹して包み込んでくれる。それが絆の証明であり、深さでもあると思うのだが、どんなものだろう。

 

 

・筆者(組長の息子として生まれた)のアウトロー的なエピソード満載

・今のこの平和ボケな社会へのガツンと言い当てているところ

・マニュアル世界が自由な精神をむしばんでいること

興味のある方はぜひ。

(貸しますよ~または差し上げますよ~)

 

“道は踏み外したほうが面白い” 

 

ハンパな人生論より極道(アウトロー)に学べ